2025年6月19日木曜日

【LIFE 写真展によせて: 008】夢の島

 って、「島」なの?


私が子供の頃、「夢の島」ってゴミ問題、環境公害問題の象徴だった。

ブルドーザーと廃棄物を積んだトラックが行き交うゴミの島
カラスとポリ袋が舞う、荒涼たる東京の人工島

そんな映像をテレビで見ても、自然豊かな田舎で少年時代を過した私にはピンと来なかった。
やがて、「夢の島」は、ドキュメンタリー番組にも登場しなくなり、何十年もその地名を思い出す事は無かった。

「ここって、今では島じゃないんだな。」

野良猫の写真を撮る為に、緑豊かな「夢の島」に通うようになった。 
でも、此処が島だと実感する事は無かった。


かつての有毒ガスが漂う島も、うっそうと茂った木々に囲まれたおよそ東京とは思えないオアシスになっていた。
そして、埋め立て事業は進み、遥か2キロメートル先まで陸地になっている。
こんな深い雑木林は、今じゃ私の田舎にも存在しない。 皮肉なもんだ。


新木場の駅から湾岸道路を渡れば、すぐそこが「夢の島」。
車で来ても、自転車で来ても、歩いて来ても、普通にやって来れる「島」。

高速道路や鉄道が通り、かつて此処が海だった事すら、人々は忘れ去っているだろう。

公園のあちこちにある「ガス抜き」のパイプが、かつての公害の象徴「夢の島」を物語るモニュメントとして、
記憶を風化させないように静かに物語っていた。




2025年6月15日日曜日

【LIFE 写真展によせて: 007】そして先ず千葉県全図を買った。

ロードマップじゃない。
一枚の大きな紙に、千葉県全体が印刷されている昔っぽい地図だ。


そこには丁度「東京湾」がすっぽり収まっている。
そう。神奈川県から東京、そして千葉県へと東京湾の海岸線が全て印刷されている。
パソコン地図やカーナビの画面では全体が見渡せないのでダメ。イメージが喚起されない。

少年時代から、地図と時刻表を眺めるのが好きだった。
深夜までプランを練って「未だ見ぬ土地」に想いを馳せてた。

紙の地図を見て、想像して、印を付けていく。
そんな作業が、五感を刺激してクリエイティブな発想がわくのだと思う。

だから私は、セレクトした写真は全てプリントにしてみる。
手でめくって、並べてみて、拙いものは破り捨てて。

何日か、何年か経ってから見返して。
足りないものがたくさん見えてきて、そしてまた撮影に行く。

今は、見知らぬ絶景より、猫たちの日常が普通にある景色に憧れる。
この漁港の猫は?あの公園の片隅に猫がいそうだな。

こうして毎週末、東京湾岸に通い詰めた。

地図はあっという間に印だらけになって行った。



<つづく>

2025年6月14日土曜日

【LIFE 写真展によせて: 006】眠れぬ夜なんて、何十年ぶりだったか。

衝撃的な出来事に興奮してあまり眠れなかった。
明るくなるのを待って、あの場所に再訪した。


「ナ~ンダ!」

少し靄った朝だった。

昨夜のカリカリの場所の先には、廃家具や発泡スチロールで出来たシェルターが何棟も立っていた。
猫缶やカリカリも堂々と見える場所にストックされ、気付いた人が開けて与えるシステムになっているようだ。

奴らといえば、テトラや防波堤の上で「今日も、明日も生きてますよ」みたいに何食わぬ顔で身繕いしてるし、、、

冷静に考えれば、あれだけの数の猫が飢え死に寸前で此処に捨てられたんじゃない事ぐらい分るけど、、、

茶トラに選ばれた私が、あの子達の空腹を満たしたのは事実だし、、、

とにかく私は、少年の片思いみたいなセツナイ一夜を過ごした。

「デジタル写真の実態の無い儚さ&猫達のつかみどころの無い存在感&海への幼い頃からの憧れ」

何の脈絡も無く、私の中でそれらがリンクし、イメージがドンドン膨らんでしまった。

そう、物語の扉を開けてしまったのだ。





<つづく>

2025年6月5日木曜日

【LIFE 写真展によせて: 005】 猫が怖いと思った。

漆黒の闇の中、足元さえおぼつかない。  
この時、懐中電灯は次の撮影での必需品だと思った。

東京の、その気になれば駅からも歩ける場所に、
こんな深い闇が存在するなんて思っても見なかった。
キャットフードを手に、慎重に来た道を戻った。

運河の向こうは、煌びやかな街。こちらは、まるでサバンナ。  
考えてみれば、元々ここは海だった場所。
「埋め立てる」事に意義が有った大規模公共事業のお陰(ツケ?)で、
東京湾岸には誰も知らない広大な隙間が多い。

だいぶ目が慣れてきた。
相当空腹だったんだろう。
ビニールのガサガサ音に、猫達が飛び出してきた。

「待ってろ、いまやるから」

喧嘩にならない様に、何ヶ所かの家具の上に分けて置いた。

「ガリガリ」「ガリガリガリ!」
「ガリガリガリ、ガリガリガリ!ガリガリガリ!!!」

なんて事だ! 気がつけば、周りをぐるっと十数匹の猫に囲まれた私。
こいつらがライオンのように本気で私を襲ったら、、、

猫に恐怖を感じた人は、そうはいないと思う。
漆黒の闇に支配された満点の★の下、恐怖の音だけがこだましていた。




<つづく>

 LIFE ~東京湾岸に生きる猫たちの記憶~





 ずいぶん前から、街中で野良犬を見かけなくなりました。

そして今、街の風景から野良猫の姿も消えつつあります。

埋め立てによって生まれた、東京23区内の無人島「○○島」。
賑わいを失った海沿いの公園や遊歩道、生活漁港、奇跡的に残された自然海岸――
東京湾岸には、目には見えない境界線で区切られた、隙間のような場所が点在しています。

そんな、人の関心が届きにくい場所だからこそ、猫たちは人知れず、ひっそりと暮らしていけるのです。

彼らは、自らの意思でこの場所に来たわけではありません。
飼い猫の半分ともいえる人生を、ここで生き、ここで育み、やがて静かに姿を消していきます。

野良猫は野生動物では無いので人の助けがなければ、生き延びることはできません。
人家の無い海辺の環境はとても過酷ですが、彼らはただ「今日を生き抜くこと」だけを考え、そして今日も、あの人の気配をじっと待ち続けています。

人間の都合に翻弄されながらも、短い一生を懸命に生きるその姿を、「記録」ではなく「記憶」として残したい――。そう強く思い、私は東京湾岸で20年にわたり、猫たちを撮り続けてきました。

 

主なロケ地東京都 江東区・品川区・大田区 / 千葉県 富津市

■会期 2025717日(木)~728日(月)

OMシステムギャラリー 写真展情報

OM SYSTEM ホームページ

■ギャラリートーク
 2025年7月19日 16:30~17:15
 写真展DM、写真展レイアウト、写真集「LIFE」のディレクションをお願いしました、
 アートディレクター三村漢さんをゲストに迎え、ギャラリーラウンド形式で作品・写真集のお話をさせて頂きます。※予約不要・無料

■写真集
 本写真展開催にあわせて制作しました写真集を、ギャラリーで販売します。
 アートディレクション 三村漢氏

■出展作品数 A2変形サイズ  60

■作者プロフィール

1963年群馬県生まれ 東京都在住の会社役員 中学時代からカメラを片手に旅に出る。

鉄道情景写真を好んで撮影していたが、2005年にデジタルカメラのテスト撮影で近所の野良猫を撮影したのをきっかけに猫の写真に興味を抱く。
以降、会社勤めの傍ら休日の全てを使い、東京湾岸地域に生きる外猫たちの『記憶』をテーマに撮影。

■主な個展

20073月~ キヤノンギャラリー銀座 
       他5都市巡回(第17回 林忠彦賞 最終候補作品展)

20102月  エプソンギャラリーエプサイト(スポットライト制度 第1回対象作品展)

20102月~ キヤノンギャラリー銀座 他2都市巡回

20116月  ギャラリールデコ(渋谷)

20138月  コニカミノルタプラザ

20162月  コニカミノルタプラザ

201910月  NineGallery 

20235    富士フイルムフォトサロン東京/大阪(鉄道モチーフ)

20248月  富士フォトギャラリー銀座


2025年5月27日火曜日

【LIFE 写真展によせて: 004】 衝撃。

  ヤバイと思った。


10枚位撮れただろうか。

茶トラは、1分程私を見定めるとクルッと向きを変え帰って行く。


「何?」

訳も分らず、とにかく後を追った。

枯れ草の空き地の向こうは運河だった。

まるで「ついて来い」と言わんばかりに時々振り返りながら

彼女は来た時と同じように迷いも無く歩き続けた。


どこの空き地もそうだけど、ここも不法投棄の家具が散乱している。

そのせいで、見通しが利かない。

スチール製のオフィス棚が散乱した一角で彼女を見失った。


「うっ!」

そこには、若い猫達が多数、

冷たい海風に震えて、じっとうずくまっていた。

辺りは暗くなってきた。 

情況が把握出来ず、私はうろたえた。


「こいつらのご飯を何とかしないと、、、」


今まで野良猫にご飯などあげた事など無かった私が、

生まれて初めてそんな衝動に駆られた。  


自分でも不思議に迷いが無かった。

「弁当でもなんでもいいさ」 

急いで車を走らせ、コンビにに向かった。


コンビニで普通にキャットフードが売っているという事実を、
この時初めて知った。


〈つづく〉



2025年5月22日木曜日

【LIFE 写真展によせて: 003】 始まりは突然だった。

 2005年3月26日、衝撃的な出逢いは突然やってきた。


今日も海沿いの公園でたくさんの猫たちに出会ったけど、全然シャッターを切っていない。

安全な、無難な猫の写真を撮るんだったら、私じゃなくても良い。

空振りだっていい。

五感を駆使し、シックスセンスを頼りに歩き、待ち、疲れ果てて帰る。

それが私の撮影スタイルだから、それでいいのだ。

夕方の渋滞を避けようと、早々に切り上げ帰途に着いた。

フロントガラス越し、枯れ草に覆われた空地の向こうの夕日が綺麗だった。

「ここに猫がいたら絵になるのにな~」

人家も無く、倉庫ばかりで人影も無いこんな場所に、野良猫がいるはずも無い。

誰もがそう思うような場所だった。

「野良猫」は野生動物じゃない。  

毎日、優しい人にご飯を貰わなければ生きていけない。

人々の暮しのちょっとした隙間でひっそりと生きているのだから、

こんな生活感の無い埋立地にいるはずも無い。


でも、どうしても、確認したかった。


路側帯に車を止めて、EOS20DにEF70-200mmを付けて、海の方へ歩いてみた。 

そう、撮る気満々で。

「やっぱり!」

夕日の向こう側から、茶トラが悠々とこちらに向かって歩いて来た。  

その「映像」は、まるで映画のワンシーンのようだった。

突然の出会いに、マンガのように震えが止まらなかった。

不思議と、こんな時はマニュアルフォーカスでも歩いてる猫にジャスピンになる。 

人間の集中力って凄いと思った。

〈つづく〉



 2007年 「東京湾岸のねこたち」キヤノンギャラリー 展示作品